*令和5年の豊年祭では町内外の皆さんからの物心両面の御支援ありがとうございました!


東アサギ・西アサギの変遷

昭和5年頃から始められた皇民化運動のさなかに建てられた東西アサギ(神社)は1944年の十十空襲で東、渡久地、谷茶PTまで焼土と化したにも関わらず焼けずに残り、現在の80代の区民が大浦埼から帰った頃の子供達の遊び場になっていました。その後、1961年(昭和36年)五月、佐久本義和区長の頃渡久地政二さんの手により二代目が立て替えられ、三代目が平成27年6月27日宮城猛さんの施工で立て替えられました。

 

西アサギ移転計画

西アサギ移転計画は40年前に計画されお倉入りになりました。令和4年からいつまでも道の上にヤングワを造り豊年祭をしなければならないのかとの思いがずっと昔からあったとの話が出ました。40年前の図面が役場に残っていたのです。それをもとに総務省のアドバイザーの鈴木さんの提案でアサギを昔の計画通り移動し、その側に一階を舞台にし二階を避難所とすれば、後ろの避難路と繋ぎ、今の第一公民館を移転したコミュニティセンターとして復活できる。との説明会が出来ました。令和5年新年度からその計画で役場とともに進めていければ昔の計画も「絵にかいた餅」にはならないはずです。その為にも区民の皆さんの声が大切です。・・・